「Personal Data(パーソナル・データ)」カテゴリーアーカイブ

2025/3/3<テクニカ・ゼン>CEO寺川貴也が注目するNEWS TOPIC

【客観性信奉やデータ依存への警鐘】

気が付けばプロ野球のオープン戦が始まる時期になっていました。この時期に甲子園球場の外野席からみる試合はとても寒いのですが、キャンプ明けのチームの仕上がりを見るのは期待感もあいまって楽しいものです。

 今年は野球の話題が面白い年です。大谷選手は再び投手と打者の二刀流に戻るようですし、イチロー選手が米国で野球殿堂入りするという偉業を成し遂げました。「能力が10だとすれば、10にかなり近いところまで引き出すことができる」と自分を評するイチロー選手であれば、当然の成り行きなのでしょうが、一ファンとしてはとてもうれしい出来事でした。ちなみに、イチロー選手によると、松井秀喜は「6とか7」までしか引き出していなかったそうです。それでもあれだけの活躍をした松井選手もおそるべきものです。

 私は以前からイチロー選手を追ったインタビュー番組や記事が好きでよく見、読んでいました。殿堂入りを記念したインタビューで、彼は「すべての練習、プレーには理由があります。現代ならデータが示す道に乗っていくのは楽だとは思いますが、それが全てなはずはないと考える。そうやって常に多くの人が信じているものに疑問をもってやってきたんですよね。」と言っています。あれだけの結果を残した人がいう言葉だけに、迫力を感じます。イチロー選手は今の野球を「データに囚われ過ぎている」と表現しています。「数値化された目に見えるデータで評価する人たちは、ピッチャーの投げるボールが何マイル以上なら何%の割合でヒットが出る、何 マイル以下ならこうなる、と決めつけてしまう。でも、そういったデータ上はヒットにできないはずのボールでも、ヒットにする技術はあるんです。そういう野球をするためには、数字を参考にしても鵜呑みにしてはいけない。感じること、考えることをやめてはいけません」

 ビジネスやディスカッションの場でも「客観性」や「数字」が重視されます。それでも、超優秀なはずのMBA卒業生がかならず成績に応じた企業を作ることができないように、「客観性」や「数字」では表せないものもあるような気がします。本田宗一郎さんや松下幸之助さんのような、型破りな創業者が人を惹きつけるのも、「感性」がそこにあるからなのかな、と考えさせられました。

 イチロー選手は殿堂入りを果たした際に「残念なこととしては、見ている人たちの感情が奪われているシーンも多いと思います。感情を表したいのに、例えば申告敬遠で投げないで一塁に歩いていくというのは、次のネクストサークルの選手がドキドキしたり、球場全体がザワザワと雰囲気が変わったり、そういう感情がなくなってしまった」と話したそうです。そういう人間の感情の動きがドラマを生み、思ってもいなかった結果を生むからこそ、面白い。データ全盛の現代にあって、選挙に勝つためにデータを活用し、売上を最大化するためにデータを活用し、とデータに依存することがますます増えている私たちに対しても、イチロー選手の言葉は警鐘を鳴 らしているようにも感じます。

 データを活用するのであれば、「感性」も生まれる形で活用するようにしたいものだと思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

≪当社無料メールマガジンのご案内≫

▼メルマガ登録はこちら

https://m.technica-zen.com/ms/form_if.cgi?id=fm

・週1回の配信で、重要トピックや最新ニュース等の情報をお届けしています。

・上記のような当社コンサルタントの専門的視点で注目する、最新ニュースや動向等を読んでいただけます。

・配信不要な場合はメルマガ最下段にてワンクリック解除が可能です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2025/2/14<テクニカ・ゼン>CEO寺川貴也が注目するNEWS TOPIC

【フジテレビの問題】

一人の人気タレントの女性問題をきっかけにフジテレビで10時間もの記者会見が行われました。(タレントの件は「女性問題」という言葉で片付けるには抵抗のあるものです。) 私自身は記者会見を見ていませんが、記者会見を少し見たというスタッフは「異様だった」と言っていました。報道からもそれは伺えます。意味のある10時間だったのか、それとも単に、「エリート企業」をつるし上げるガス抜きになっていたのか、いずれにせよ、後味の悪い出来事です。

 この出来事はいろいろな人が話題にします。「何やってもいいと思ってしまったのかな」という意見や「フジテレビだけじゃないよね」という意見、幾人かの女性からは怖い思いをしたことがあるという経験談も聞きました。「ない」はずだった「公然の秘密」が表沙汰になった、というところでしょう。アメリカ大統領も女性に対する口封じで有罪になっていますし、われらがデータプライバシー業界でも同様の問題で裁判になっている有名な人がいるので、力のある所にはこのような出来事が偏在しているようにも感じます。私個人としては、当事者が「これでよい」と思って選択を続けることのできる世界であってほしいと思います。権力と経済力だけで物 事がきまる世界は嫌だなと思いますし、「無理強い」で何かさせられるというのはつらいことです。

 ところで、ここ数年国内や世界各国で傍若無人なふるまいを目にすることが増え、世の中が殺伐としてきています。そんな中、コーポレートガバナンスやAI ガバナンス、プライバシーガバナンスがどこまで持ちこたえるか、私は関心を持って観察しています。「ルールがおろそかになっている時代」に「ルールを守っても意味がない」という判断も当然あるからです。その一方で、兵書の「孫子」には「…法令 孰れか行わる、 … 吾れ此れをもって勝負を知る」とあり法令の厳守が勝敗を決する要素の一つと記されており、ガバナンスをおろそかにしないという選択も戦略として有効ではないかと感じています。

世の中の動きを変えることはできませんが、繰り返された歴史が示すことから学び自分の選択を行うことはできます。その選択の先に納得のできる世界が広がっているといいと思います。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

≪当社無料メールマガジンのご案内≫

▼メルマガ登録はこちら

https://m.technica-zen.com/ms/form_if.cgi?id=fm

・週1回の配信で、重要トピックや最新ニュース等の情報をお届けしています。

・上記のような当社コンサルタントの専門的視点で注目する、最新ニュースや動向等を読んでいただけます。

・配信不要な場合はメルマガ最下段にてワンクリック解除が可能です。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

記事を少しずつ会員制サイトに移していきます

テクニカ・ゼン株式会社ではデータプライバシー会員制サイトを新たに開始しました。
こちらの記事も少しずつ会員制サイトに移していきます。会員制サイトではGDPRの最新動向もリアルタイムで随時アップしてまいりますので、登録の上ぜひご活用ください。

先日アメリカの FTC のCommissionerである Rohit Chopraのインタビューを聞きました。アメリカにおいてもデータ・プライバシーについて規制がうまれつつある様子が伝わってきます。デジタル・エコノミー化する中で、私たちが享受しているオンライン・サービスが本当は無料ではないことに注意をしなければなりません。私たちは知らないうちに大きな代償を払っているかもしれません。

話は少しそれますが、今、欧州を発端にプラスチック容器の規制が急速に広まりつつあります。日本の新聞でもプラスチックのストローが廃止されたという話題が取り上げられているのでご存知の方も多いでしょう。

プラスチック容器は軽く、安価に製造できるため急速に広まりましたが、今、その負の側面が無視できなくなり規制という局面に向かっていると整理できます。

規制が生まれるときは、多くの場合、負の側面が無視できなくなるときなのです。

データ・プライバシーについても同じような状況にあると理解するのが良いかもしれません。私たちにはこれからの社会をどうしていきたいのか、考え、行動する責任があります。

私たちはどのような社会に生きたいのか、どのような社会を後世に残したいのか決めることができる世代です。

会員制サイトの運用開始となぜプライバシーか

テクニカ・ゼン株式会社ではデータプライバシー会員制サイトを新たに開始しました。
ブログはこの一月ほど更新ができていませんでしたが、会員制サイトの準備に時間をとられていたことが一つの理由です。申し訳ありません。

今後は会員制のサイトにより大切な情報を掲載していく予定ですので、データ・プライバシーに関わる方にはぜひご登録していただければと思います。
こちらのブログは私の個人的な考えや見解を発信する場所へとシフトしていくこととなります。

データ・プライバシーはデータ・セキュリティと混同されることが多いのですが、セキュリティは情報の問題でしかありません。
データ・セキュリティ対応をしておけばデータ・プライバシーが可能であるというのは残念ながら正しくありません。

データ・プライバシーは人の生活に密接に影響するものであり、社会に対するインパクトがまったく異なります。自然、アプローチも「情報を護る」という観点から「人を護る」という観点に変わります。目指すものが異なるので、優先順位も当然異なります。ロジックではなく、エシックスで判断を行う場面が生じます。

エシックスで判断を行うためには、社会としての正義が問われます。社会として何をよしとするのか、何を禁じるのかが問われるのです。
データ・プライバシーは、私たちがどういう社会に生きたいのか、という問いかけにつながります。そして、私たちは主体的に自分たちの生きたい社会を宣言しなければなりません。そうでなければご都合主義の政治家と旧態依然とした保守的権力機構によって一部の集団に恩恵がもたらされるような決定が行われることとなるでしょう。

今、世界中で行われている法改正の根底には、社会の変革に対する各国の回答という側面があります。GDPRとよく似た動きが見られますが、やはり国ごとで大きく姿勢が異なり興味深いものがあります。会員制サイトでは、そういったムーブメントに従った情報の提供を行います。

もちろん、実務の上で役に立つ情報も必要であり、プライバシー・マネジメントを実装するためのチェックリストや各種テンプレートの提供も行っていきます。
議論も重要ですが、それ以上に行動すること、実装することのほうが重要です。思考はあくまで行動の裏づけがあって真実味を持つからです。

かつて、ビジネスは利便性の追求の結果、環境対策の必要性を指摘されながらも合理性を追求し、環境問題を引き起こしています。
データについても同様で、ビジネスが既に動いてしまって、大量のデータ侵害が発生する状況になってようやく法整備が進み始めています。

環境問題が引き起こされた時代、私たちはどのような世界に済みたいかについての議論が十分にできていなかったのかもしれません。データについて同じことは繰り返してはなりません。データ・プライバシーについての情報を発信する中でどういうルールが私たちに必要なのかについての考察も忘れてはなりません。

日本ではコンプライアンスというのがまるで面倒な校則のように扱われています。
権威ある「誰か」が決めたことを、本当は何の役にも立たないと直感的に理解しながら規則のための規則をまもるために効率を落とし、みなで足を引っ張り合っている。
データ・プライバシーに限らずいたるところでそんなことが起きています。

実際私たちのところへくるコンサルティングの相談も「必要最低限で」という修飾語がついて依頼が来ることが普通です。

コンプライアンスというのは「無駄」なことをするためのものではありません。
必要なことを達成するために、運用可能なルール作りを行うことです。達成したい目的をもっとも合理的に達成し、無駄を省くことこそがコンプライアンス活動の目的です。

日本におけるコンプライアンスへの姿勢を変えていかなければならないときになっています。

その最初の一歩は「なぜ」やるのかを考えることです。
思考停止せず、「なぜ」そうするのかを常に問い続けなければなりません。
快適なことではないでしょう。しかし、複雑な時代に生きるものの義務として、私たちはその責任を果たさなければなりません。