【読み物】表現の自由と人権

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ParryのCDA Section230についてのライブ放送は非常に興味深いものでした。この中で、RickはCDA Section230が意図されない形で利用される中、ネットをより良い場所にするためにはどうすればよいのかを議論する必要があるといっています。表現の自由を認めつつ、殺人をライブ放送してしまうことを許容することはできません。

CDA Section230は日米貿易協定に含まれているということです。日本にも類似の法律がある(プロバイダ責任制限法)ということですが、日本でも同様の議論があってもよいと感じました。不法なコンテンツが公開されているという状況は日本でも同じだからです。

CDA Section230のむつかしいところは、表現の自由がどこまで許容されるのか(倫理的に許容されない限度は何か?)という価値が関わる点にあります。そのバランス点を求めて作った法律が、パブリッシャの責任回避ととられかねない形で言い訳になっている、さらには不法なコンテンツをも「安全」にやりとりできる仕組みを保護してしまっていることです。

私はデータ・プライバシーをきっかけに法律を調査するようになりましたが、法律とは「価値観」の問題なのだと感じます。データ・プライバシーに深くかかわるまでは「法律は弁護士があつかうもの」と漠然と感じていましたが、価値観の問題を少数の「専門家」だけで議論するのは不自然です。専門家の活動をモニターし、批判するジャーナリストの役割に期待したいところです。