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Privacyとは、私たち個人の問題なので、Privacyのあり方を考えるためには、「専門家がどう考えるか」だけではなく、「私たち個人がどう考えるか」も大切な要素です。
今回のアメリカ訪問では、Privacyの専門家と議論するだけでなく、専門外の人たちともPrivacyについて話を聞いてみるようにしています。
ちなみに、アメリカでは連邦法としてのPrivacy 法の必要性が議論されていますが、それに先立ってCCPAをはじめ州法が次々に制定されています。Privacyへの関心は確実に高まっています。
友人の一人は美術館でのキュレーションの仕事を通じ、アメリカの諜報機関が行ってきたsurveillanceの痕跡に触れる機会がありました。彼は、Privacyを護ることは不可能だといっていました。
アメリカには国家機密であるため存在していないことになっている人や場所、存在していることになっている人や場所があるそうです。(もっともこれはアメリカに限らず日本でも、イギリスでも、中国でも同じだとは思います)
情報収集は戦略立案の基礎なので、あらゆる国が可能な技術を駆使して情報を集めています。どのような情報を集めているのかを知られないために、事実を隠す、作り出すということがさかんに行われているようです。
そのような事実があるなかで、TransparencyやFairな情報の扱いを議論するのは理想論に過ぎないのではないか、という意見は確かに説得力があります。
読者の皆さんはどう思われますか?
DCで会った政府に勤務する別の人は、「仕事のために自分の詳細な情報を提供することは仕方ないと思っているが、この仕事をやめた後、本当に自分の情報が消されるのかどうなるのかなんてわからない」と笑いながら話してくれました。
ちなみに、彼はSNSは一切使わないことにしているそうです。情報は、いったん外に出てしまうと制御できないからね。もっとも、そんな努力も、誰かが私をタグ付けしたら無駄になってしまう。彼は笑いながら言ってました。
DCに在住する人のほとんどは政府機関で勤務しているので、世の中の動向についてはよく知っています。GDPRについても知っている割合が高く、たいていは肯定的な反応でした。やはり、ある程度の歯止めが必要だと感じている人が増えているのでしょう。
Privacyはとても興味深い領域です。法律が出来て人の関心を引くようになりましたが、「法律では問題ない」ということだけではデータ利用する者は、社会の賛同を得ることは出来ないでしょう。市民として、どのような社会を作るのか、議論しなければならない、という思いを新たにしたワシントン滞在でした。