前回、Privacy(プライバシー)やdata protection(データ保護)の権利の起源として「世界人権宣言」(1948年)があることを紹介し、
それをもとに欧州で「人権と基本的自由の保護のための条約」(1953年)が作成されたことを述べた。
今回は、その後欧州でどのようにdata protection(データ保護)が発展していったかについて述べる。
data protection(データ保護)の考え方は、ほかの多くの事柄がそうであったように、世の中の変化に伴う懸念の発生と、それへの対応の歴史である。
1960年代、1970年代、と10年ごとの区切りでマイルストーンとなる出来事を紹介する。
1960年代
1960年代は、戦後の経済成長期であった。コンピュータや遠距離通信(telecommunication:テレコミュニケーション)が発達し、国際貿易が活発化した。
1970年代
国際貿易が活発化し、情報のやり取りが国を超えて行われるようになると、各国のprivacy(プライバシー)権と国際貿易にともなう情報流通との間で摩擦が生じるようになってきた。
1970年代から1980年代にかけては、こういった問題が顕在化した時代である。膨大なpersonal data(パーソナル・データ)のデータ・バンクが作られ、国境を超えたデータの取り扱いが広まった。
コミュニケーション技術の発達が、従来想定していなかったpersonal data(パーソナル・データ)の拡散という状況を生み出したのだ。
1980年代
この流れを受けて、1980年代には、data protection(データ保護)を先導する重要な枠組みが二つ作られた。
OECDガイドラインは経済協力開発機構(Organisation for Economic Co-operation and Development)によって制定された、グローバル化する経済における、personal data(パーソナル・データ)のデータの流通(data flow)を円滑にするためのガイドラインである。2013年の改定では、基本的なdata protection(データ保護)についての原則が追加された。
条約108号(Convention 108)は、正確には欧州評議会条約(Council of European Convention)という。欧州評議会加盟国に対してdata protection(データ保護)を行う手段を供した、最初の条約である。
1981年に各国の署名に付された。ガイドラインとは異なり、加盟国が署名し、自国の法制に条約108号の適用することを求めている。
次回は1990年以降の流れについて説明する。