欧州法規の難しさは、その構造の複雑さにある。欧州法規について理解するには、どういうプレーヤーがいるのかを把握することが最初の一歩として大切だ。
各プレーヤーの役割を理解しながら、大きな視点で体制全体を俯瞰する必要がある。
ここでは、GDPRが作られるまでの歴史と、その中でかかわりを持つプレーヤーについて書く。
それぞれのプレーヤーについては、大きな歴史と関係をつかんだ後、詳細に説明することとする。
では、さっそく歴史を見ていこう。
世界のprivacy(プライバシー)に関する権利の起源となったのは、1948年12月10日に国際連合総会で採択された「世界人権宣言」(Universal Declaration of Human Rights)だ。
世界人権宣言には法的拘束力はないが、その後結ばれる人権条約は世界人権宣言を参照してつくられている。世界中の人権保護条約の土台といってよい。
この宣言は、12条、19条で「国籍にかかわらず保護されるべき私的生活の権利及び表現の自由の権利」を謳っている。同時に、バランスの重要性も29条で謳っている。
世界人権宣言
privacy(プライバシー)と表現の自由はあるが、そこにバランスが必要だ、という考え方である。
当然、欧州のdata protection(データ保護)法とdata protection(データ保護)標準も、この世界人権宣言に影響を受けている。
欧州評議会(Council of Europe)は、1953年、一般的には「欧州人権条約」と呼ばれる「人権と基本的自由の保護のための条約」(European Convention on Human Rights)を作成した。
欧州人権条約は人権と根源的な自由に対する権利を守るために作られた国際条約であり、欧州人権裁判所(European Court of Human Rights)がその実効を監視している。
この条約は、欧州評議会加盟国によって批准され、欧州の基本的人権の根拠となっている。
人権と基本的自由の保護のための条約
言葉は異なるが、世界人権宣言の内容が反映されていることが理解できるだろう。
次回は、欧州におけるdata protection(データ保護)の歴史を見ていこう。